京セラ株式会社の稲盛和夫名誉会長の生涯を描いた伝記「思い邪(よこしま)なし」北康利 作 が毎日新聞に連載されています。
平成29年11月29日発行第1章「最初の受験失敗(二)」の文章中に当院のことが触れられていますのでご紹介させてください。
兼一の隣で寝たために稲盛は体中食われ、ただかゆいだけでなく発熱して寝込んでしまう。
(シラミにしては症状が重い…)
キミは母親の勘で和夫の異常を感じ取ると、彼を医者に連れて行った。
稲盛家のかかりつけは草牟田の植村病院である。子どもの頃から熱を出したりすると、ここに行くのを常としていた。
歩いて十分ほどの距離だが、身体が重く、いつもの数倍遠く感じられた。
「これは結核の可能性があるな…」と口にした。
キミは真っ青である。戦後、特効薬のペニシリンが普及するまで、結核は“亡国病”と恐れられていた死の病だったからだ。
念のため、鹿児島市内の大きな病院へ行ってレントゲンを撮ってもらったところ、診断は肺浸潤。やはり初期の結核であった。
私の尊敬する稲盛和夫名誉会長が幼い時に当院との接点があったことを毎日新聞の連載で初めて知りました。 この病院の歴史の長さだけでなく、かかりつけ病院としての医療の質をさらに高め、鹿児島に貢献していく気持ちをより一層強く致しました。 これからも地域と共に歩んで参ります。
文責 植村 健 http://www.koseikai-uemura.jp/